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Jun 15 2021 14:55

【参加記あり】「グローバル・スタディーズの課題」シリーズ第14回「グローバル化時代の『人間』を考える-歴史人類学からの視点」

グローバル地域研究機構(IAGS)GSI

【参加記あり】「グローバル・スタディーズの課題」シリーズ第14回「グローバル化時代の『人間』を考える-歴史人類学からの視点」


日時:   2021年6月15日(火)14:55-16:40

場所:   Zoom Webinar

スピーカー:       田辺明生
大学院総合文化研究科 超域文化科学専攻・教授

 

タイトル:        「グローバル化時代の『人間』を考える-歴史人類学からの視点」

 

要旨:  本報告では自分自身の研究を振り返りながら、グローバル化時代の「人間」のありかたを考えたい。「人間」が問いの中心に置かれるのは、私の専攻する人類学において「人間とは何か」が中心的な問いであるというだけではなく、この問いにいかに答えるかが、これからの地球社会そしてグローバル・スタディーズのありかたを考える上で決定的に重要だからである。

 インドの人類学を専攻した私がまずとりくんだのは、平等な個人の集合からなる西洋社会に対して、インド社会は階層的なカーストの集合からなるというオリエンタリズム的なインド観の克服であった。それは植民地的な認識や実践からの脱却というポストコロニアルの課題でもあったが、学問的な潮流はいつしか現地社会のことよりも支配側・書く側の権力や認識のほうへ関心を向けるようになった。私はその潮流から距離を置き、あくまでフィールドを重視して、長期的なミクロヒストリーに専心するようになった。そこで見えてきたのは、多様性の出会うコンタクトゾーンとしての南アジアの姿であり、さまざまな人間が他の人間たちそして自然環境とつながりながら地域固有の集合的な生のかたちをつくっていくありさまであった。インドのカーストは、差別や格差というネガティヴな側面をもつ一方、多様性を維持するための社会的な仕組みであることもわかってきた。南アジア型発展径路における「多様性の統合と展開」という観点からみると、南アジア史は、多様な人ともののより有機的なつながりが漸次的に進展し、それと並行した国家社会の構造的な複雑化がすすんできた過程としてみることができる。世界の発展径路については、これまで、資本集約的に効率性を追求する西洋型径路と、共同体的な協力による労働集約的な東アジア型径路が論じられてきた。これに対して、南アジア型発展径路を考えることは、より多くを生産するために人間はいかなる社会をつくってきたのかという従来の問いに代えて、人間はいかに多様なる他者の存在を歓びと豊かさの源とできるのかという、おそらくはより重要な問いを世界史研究にもたらしてくれるものであるように思われる。

 研究を進めるなかで、わたしは、既存の研究枠組における人間観を刷新する必要を感じるようになっていった。こうした思考を支えてくれたのが生存基盤論そして比較存在論であった。人間の生を人間圏・生命圏・地球圏の三つの視点からとらえる生存基盤論の視点は、フィールドで実感した、人間も自然も含む「多様性のつながり」のなかの生のありかたを理解する上で有用であった。またある地域の人間が自己と世界と彼方の関係をいかに認識し,いかに自らの存在を構築しようとしてきたのか、について考察する比較存在論は、生の価値は、単なる理念や信仰の問題ではなく、人間・生きもの・もの・みえないものの総体的なつながりをいかにつくるか、という今ここの生き方に関わる問題であり、その可能性はさまざまに開かれてあることを感得させてくれた。

 グローバル化は、世界の各地域を緊密に結びつけるだけでなく、人間と人間ならざるものの相互作用をより密接にしており、そこから地球温暖化やコロナ・パンデミックなどの問題も生まれている。そのなかで決定的に重要なのは、人間が社会や世界をいかに統御するかではなく、さまざまな人間と人間ならざるものがともにありうる関係をどのようにつくっていくかという問いであろう。そのなかで、人間は、自律的な判断力を持って物事を決定するhuman being ではなく、周囲とのつながりのなかで環境とともに生成変化していくhuman co-becoming である、と考える視角が重要になってくるのではなかろうか。こうした人間観の転換は、人間が生きる世界・地球・惑星・この世たる「グローブ」観の転換、ひいてはグローバル・スタディーズの再定義をもたらすものではないかと考えている。

司会:  伊達聖伸(総合文化研究科 地域文化研究専攻)

討論者:吉国浩哉(総合文化研究科 言語情報科学専攻)
    國分功一郎(総合文化研究科 超域文化科学専攻)
    馬路智仁(総合文化研究科 国際社会科学専攻)

 

言語:  日本語

「グローバル・スタディーズの課題」シリーズ:これまでのセミナーはこちらのページをご覧ください。

 

【参加記】

2021年6月15日、「グローバル・スタディーズの課題」シリーズ第14回が開催され、田辺明生氏(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻・教授)により「グローバル化時代の『人間』を考える-歴史人類学からの視点」というタイトルでの報告が行われた。

 

まず初めに、本報告の主旨が、インドの文化人類学を専攻する田辺氏自身の研究活動を振り返りながら、グローバル化時代の人間のありかたを考えるものであるとの説明がされた。

 

続いて、近世インド社会に関する田辺氏の研究の展開が取り上げられた。ここでは、オリッサ地域のクルダー王国を具体的な対象としながら、“グローバルな需要拡大に応える形で森林地域を開拓し、農業を拡大してきた”というような従来の港湾都市中心的・資本中心的な歴史観とは異なる、多様性に満ちた現地の人々の活動や生業形態の展開が明らかにされた。

田辺氏はこうした多様性を管理運営するものとして「職分権体制」の存在を指摘する。「職分権体制」の下、各カーストは地域社会に対して一定の義務を負い、同時に地域社会の産物に対する取分権を得ていた。土地の所有権ではなく、産物への取分権が重要な社会において、人は身体や自然を所有する個人ではなく、他の人間や自然とのつながりの中で自身の「身体=人格」を構築する分人であった。以上のような、インド社会に見られる多様性の肯定と、つながりの中での自己構築のあり様に、田辺氏は西洋的な個人を前提とした「人間らしさ」とは別の「人間らしさ」の可能性を見ているという。

更に、田辺氏は、多様性を肯定してきた南アジア固有の発展径路を研究することが、世界史における新たな問いを我々にもたらしてくれるとする。それは、いかにより多く早く生産できるようになるのかではなく、人間がいかに人間以外をも含むような多様な他者の存在を歓びと豊かさの源にできるのか、という問いである。こうした他者の存在との絡み合いの中での存在として、人間を再考する必要があると田辺氏は語る。こうした視点に立てば、人間は、「自律的な判断力を持って行動を決定するhuman being」ではなく、「周囲との繋がりの中で環境とともに生成変化していくhuman co-becoming」であるという。そして、人間をhuman co-becomingとして捉えることで、人間と人間ならざるものの密接な相互作用を促すグローバル化や、我々の存在基盤であるグローブに対する見方も再考し得るとする。

そのような再考を踏まえれば、これからのグローバル・スタディーズは、多様なつながりの<あいだ>から生じる様々な困難と可能性を明らかにしようとする、より総合的なものとなっていくべきだろうという田辺氏の提言をもって、この報告は終了された。

 

その後、田辺氏と、本セミナーのコメンテーター三人による質疑応答が行われた。吉国浩哉氏からは「多様性を生み出すものとして自然を考えた際、それが都市においてはどのような働きを果たすのか」、國分功一郎氏からは「資本主義という言葉の使い方について」・「個人の意思の捉え方について」・「強いられるものとして自己変容を考え得るか」、馬路智仁氏からはは田辺氏の議論と文化人類学者J・クリフォードの議論を関連付けた形でのコメントと共に「生物・非生物を含む多元的な諸存在と公共的な表象・代理秩序を媒介するものはなにか」・「人間性に備わっている生理的なものはどのように位置づけられるのか」といった観点から質問がなされ、充実した議論が展開された。最後に、セミナーの出席者からも複数の質問が寄せられ、盛況のうちに本セミナーは終了した。

【報告:塚本隆大(東京大学総合文化研究科修士課程)】