研究実績

移民正義への視座――左派リバタリアン的移民規制論を出発点として

「新たな移民研究の創造に向けた学術横断型研究」(野村財団助成)

井上彰

移民正義への視座――左派リバタリアン的移民規制論を出発点として


民正義への視座――左派リバタリアン的移民規制論を出発点として

井上 彰

 

2015年にヨーロッパ難民危機が取り沙汰されて以降、移民正義についての研究――移民正義論――が活発である。日本においても、世界で群を抜いて厳しいとされる難民認定の仕組みと、改正入管法により外国人労働者受け入れを強化するといった実質的な移民受け入れ政策との「同居」を問題視する声が上がるなか、移民正義論が注目を浴びている(横濱 2017; 松元・井上 2019)。

移民正義論の発端は、ジョゼフ・カレンズによる、移動の自由や機会の平等、そしてグローバルな分配的正義に基づく「開放国境論」である(Carens 1987; 2013)。いまや、移民正義をめぐる議論は、「開放国境論VS閉鎖国境論」といった単純な対立軸を超えて、ゲストワーカーや能力(職能)による選定の是非といった具体的な論点にまで及んでいる(Fine and Ypi 2016)。以下では、最も洗練された移民正義論の一つである左派リバタリアン的移民規制論をベースに、その問題点を明らかにしたうえで、その問題点をどう乗り越えるかについての展望を示したい。

 

左派リバタリアニズムは、リバタリアニズムである以上、自由を重視する正義論である。このとき自由は、自己所有権の行使可能性に根ざしたものである。その延長線上で、互いの同意に基づく結社の自由が尊重される。その一方で、「左派」と銘打たれている理由は、外的資源(主に天然資源)は万人に等しく保障されるべきだと考えるからである。それゆえ、外的資源の専有は、他の人にも資源への平等なアクセスを保障する場合、かつその場合に限り、正義に反しないものとなる。この正義論は、専有によって他の人の資源への平等なアクセス権が侵されたら、その分の補償を専有者に求める。このように、左派リバタリアニズムの正義論の最たる特徴は、再分配のソースと移転先が明確なところにある(Vallentyne, Steiner, and Otsuka 2005; Vallentyne 2007)。

では、左派リバタリアニズムの議論において、移民規制はいかにして正当化されるのか。この問いへの応答にあたっては、国家が移民を規制する一方的権利を有するのは、いかなる条件においてかを明らかにすることが求められる。左派リバタリアンの観点からすると、①(含有する天然資源を含む)土地を正当に共同所有しており、②当局がその土地の一部を統御する権限――管轄権・領有権――が、共同所有者によって承認されていること、この2つが条件となる。

①の条件の充足チェックは、外的資源へのアクセスを等しく割り振ることで規定される基準線を、実際の土地の共同所有が逸脱していないかどうかの検証を促す。当然それは、グローバルなレベル、および、世代間のレベルでの検証にまでおよぶ。その基準線から逸脱する共同所有があれば、その当事者は移民を受け入れるか、不当専有への賠償を原資とするグローバル基金による再分配が求められる(Steiner 1992; 1994; Steiner and Vallentyne 2009)。

②の条件の充足チェックは、当局の土地管轄が共同所有者によって承認されているかどうかの検証を促す。この点で、左派リバタリアン的移民規制論の問題点は明らかだ。なぜなら、実際に国民の承認を経て管轄権・領有権が成立した国家など、この世に存在しないからだ。

もちろん、ジョン・ロックの有名な議論のように、当該社会から国民が離脱していないことをもって、「暗黙の同意」が成立しているとみることも可能だ(ロック 2010)。また、明示的同意の理想性があらゆる国家の不正性を描出させる、というラディカルな見方も可能だ(Simmons 2016; 2019)。しかし前者をとる場合、植民地支配に代表される(過去の)支配の不当性が不問に付されかねないし、後者をとる場合、あらゆる国家は正統性を欠くことになり、移民規制の権利が有名無実化するおそれがある。

 

以上から明らかになるのは、人々と特定の国家との正当(正統)な結びつきとその含意をめぐるディレンマである。一方で、その結びつきの実際性を重視すればするほど、過去の植民地支配を含めた(歴史的)不正義が等閑に付されてしまいがちだ。他方で、その結びつきの理想性を強調すればするほど、現下の実践的問題への対応力は弱まる。われわれに求められているのは、両者を超克する議論を原理的に突き詰めることである。

 

 

参考文献

 

Carens, Joseph H. (1987). “Aliens and Citizens: The Case for Open Borders.” Review of Politics 49(2): 251-273.

Carens, Joseph H. (2013). The Ethics of Immigration. New York: Oxford University Press.

Fine, Sarah, and Ypi, Lea. (eds.) (2016). Migration in Political Theory: The Ethics of Movement and Membership. New York: Oxford University Press.

Simmons, A. John. (2016). Boundaries of Authority. New York: Oxford University Press.

Simmons, A. John. (2019). “Rights and Territories: A Reply to Nine, Miller, and Stilz.” Politics, Philosophy and Economics 18(4): viii-xxiii.

Steiner, Hillel. (1992). “Libertarianism and the Transnational Migration of People.” In Brian Barry and Robert Goodin (eds.), Free Movement: Ethics Issues in the Transnational Migration of People and Money. Hemel Hempstead: Harvester Wheatsheaf.

Steiner, Hillel. (1994). An Essay on Rights. Oxford: Blackwell.(浅野幸司訳『権利論:レフト・リバタリアニズム宣言』新教出版社、2016年)。

Steiner, Hillel, and Vallentyne, Peter. (2009). “Libertarian Theories of Intergenerational Justice.” In Axel Gosseries and Lukas Meyer (eds.), Intergenerational Justice. Oxford: Oxford University Press, pp. 50-76.

Vallentyne, Peter. (2007). “Libertarianism and the State.” Social Philosophy and Policy 24(1): 187-205

Vallentyne, Peter, Steiner, Hillel, and Otsuka, Michael. (2005). “Why Left-Libertarianism Is Not Incoherent, Indeterminate, or Irrelevant: A Reply to Fried.” Philosophy and Public Affairs 33(2): 201-215.

松元雅和・井上彰(編著)(2019)『人口問題の正義論』世界評論社。

横濱竜也 (2017)「不法移民をいかに処遇すべきか:移民正義の理想と現実」ジョゼフ・カレンズ『不法移民はいつ〈不法〉でなくなるのか:滞在時間から滞在権へ』白水社、93-189頁。

ロック, ジョン (2010)『統治二論』(加藤節訳)岩波文庫。