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Jan 22 2026 15:00~16:30

【参加記あり】第5回グローバル・スタディーズ・セミナー 髙橋史子「なじんでいるが、まざっていない」 ――移民児童が多く通う小学校における「多様性」の多層的経験と認識

グローバル地域研究機構(IAGS)GSISPRING GX対象コンテンツ

【参加記あり】第5回グローバル・スタディーズ・セミナー 髙橋史子「なじんでいるが、まざっていない」 ――移民児童が多く通う小学校における「多様性」の多層的経験と認識


【日時】2026年1月22日(木)15:00~16:30

【司会】吉国浩哉(総合文化研究科言語情報科学研究専攻)

【コメント】國分功一郎(総合文化研究科超域文化科学専攻)・オオツキ グラント ジュン(総合文化研究科超域文化科学専攻)

【開催場所】18号館4階コラボレーションルーム1+Zoom 

【要事前登録】

【言語】日本語

【共催】地域文化研究専攻(今回のグローバル・スタディーズ・セミナーは、地域文化研究専攻研究集会を兼ねるものです)

【要約】現在、日本で生まれる子どもの約50人に1人は親のいずれかが外国出身であり、今後も外国にルーツを持つ子どもの増加が見込まれている。推計によれば、小児人口に占める外国籍者の割合は2030年に9.5%、2045年に14.3%、2065年には20.3%に達する(是川 2018)。こうした急速な多文化化は、日本の学校、とりわけ多くの移民児童が在籍する小学校にさまざまな変化をもたらしている。

学校は学習の場であると同時に、振る舞いや社会規範、人間関係を学ぶ場であり、日本では全人的教育のもと、係活動や学校行事を通じて協調性などの価値観が育まれてきた。また、移民家庭にとって学校は、マジョリティ社会との接点であり、受け入れ社会への重要な入り口でもある。

本報告では、移民児童が約3割を占める都市部のA小学校で行った調査をもとに、保護者・児童・教員という異なるアクターが学校内の「多様性」をどのように経験・認識しているかを多層的に分析する。
保護者の視点からは、移民保護者が学校行事や規律を概ね肯定的に評価する一方で、日本の学校における暗黙の前提に葛藤を抱く様子が見られた。日本人保護者は多様性を地域に起きている「当たり前」の現実と受け止めつつも、子どもの学びへの具体的効果を実感しにくい状況にある。児童はA校内で良好な関係と高い帰属意識を示すが、放課後にはルーツによる分離が見られ、「なじんでいるが、まざっていない」状態が存在する。教員は多文化化への対応の最前線で翻訳者・調整者の役割を担い、制度的支援の乏しさから負担と評価のギャップを抱えている。

以上から、日本の学校の既存構造が差異を不可視化し、教員に過度な負担を集中させている実態を指摘し、多様性を学校と社会の強みとするための制度的支援と学校文化の変化の必要性を論じる。

【参加記】2026年1月22日、第4シーズン第5回グローバル・スタディーズ・セミナーがハイブリッド形式で開催された。発表者は高橋史子先生、司会は吉国浩哉先生、コメントは國分功一郎先生とオオツキ・グラント・ジュン先生だった。

高橋先生の発表は、A小学校のケースに基づき、移民児童が多く通う小学校における「多様性」の多層的経験と認識を検討する研究報告であった。A小学校は児童数約230名の小規模校で、外国籍児童の割合は約3割にのぼる。学校選択制の導入や日本語学級の設置といった制度的特徴を有する一方、日常的な学校運営においては、表面的には大きな摩擦が見られない点が示された。本報告は、こうした環境のもとで「多様性」がどのように経験され、またいかなる形で不可視化されているのかを明らかにすることを目的としていた。

調査は質問紙調査、インタビュー調査、参与観察を組み合わせて行われ、児童、保護者、教員という複数のアクターの視点から分析が試みられた。質問紙調査では、日本語能力、家庭内で使用される言語、将来展望などが複数言語で尋ねられ、移民児童の多くが学校生活では日本語を主に使用しつつ、家庭内では中国語やネパール語など他言語を併用している実態が示された。

将来展望に関する分析からは、移民児童の方が日本人児童よりも「海外で学ぶ」「海外で働く」といった志向を示す傾向が強いことが明らかになった。一方、日本人児童も海外への関心自体は有しているものの、「身近な多文化」への関心は限定的であることが指摘された。

学校内では日本人児童と移民児童の間に大きな対立は見られないが、友人関係や交流が放課後まで拡張されにくく、「なじんでいるが、まざってはいない」状態にとどまっている点が特徴的であった。このような状況は、差異が可視化されないまま日常化されることで生じる、日常に潜む分離として捉えられた。

報告では、アクター間における「多様性経験」の非対称性も強調された。日本人児童やその保護者は、多様性を不可視化・日常化することで摩擦を回避する一方、その積極的な意義を実感しにくい状況にあるとされた。他方、移民児童や保護者は、学校への適応と家庭・生活空間との分離という二重の負担を抱えていることが示された。また教員については、制度的支援が十分でない中で、通訳や文化的調整といった負担を個人が引き受ける構造が浮き彫りにされた。

質疑応答では、まず国分先生からコメントがなされた。国分先生は、自身の娘がイギリスの小学校に通っていた経験に触れ、多様な背景をもつ子どもがいる状況を教員や関係者が特別な負担として捉えていなかった点を紹介し、その姿勢自体が学びであったと述べた。さらに、文部科学省による日本の教育を海外に展開する政策に言及し、国内における多様性への向き合い方と教育の国際展開との関係について問題提起を行った。これに対し高橋先生は、当該政策に関与した経験を踏まえ、日本の教育モデルが前提としてきた枠組みや価値観を国際的文脈の中で再考する必要性を指摘した。

続いてオオツキ先生は、文化人類学者かつ保護者の立場から、運動会などの学校行事や教室内での参与観察といった具体的場面について質問した。これに対し高橋先生は、教室内で子どもたちが中国語やネパール語を用いて会話している場合でも、教師がそれを制止することはなく、人間関係を構築する実践として受け止めている事例を紹介した。

質疑応答では、参与観察における具体的な場面から教育制度や社会構造にかかわる問題に至るまで多角的な議論が展開された。本報告は、移民の子どもをめぐる教育の現場を丁寧な実証に基づいて描き出すと同時に、その背後にある制度的、社会的課題をも照射するものであり、参加者の高い関心を集め、思考を深める契機となる極めて意義深いセミナーであった。

【執筆者:李念(地域文化研究専攻博士課程)】