【参加記あり】第2回グローバル・スタディーズ・セミナー 中尾沙季子「帝国を越えて〈アフリカ〉を想像する――第一次世界大戦後の世界におけるアフリカ系知識人の共闘――(仮)」

【日時】2025年7月25日(金)15:00~16:30
【司会】吉国浩哉(総合文化研究科言語情報科学研究専攻)
【コメント】國分功一郎(総合文化研究科超域文化科学専攻)・オオツキ グラント ジュン(総合文化研究科超域文化科学専攻)
【開催場所】18号館4階コラボレーションルーム4+Zoom
【要事前登録】
【言語】日本語
【共催】地域文化研究専攻(今回のグローバル・スタディーズ・セミナーは、地域文化研究専攻研究集会を兼ねるものです)
【要旨】アフリカ史研究において,どのような単位をもとに歴史を記述するかは,重要な争点となってきた.それは,歴史叙述の単位となる共同体への帰属意識の問題でもある.一方,〈アフリカ〉という共同体への帰属意識は,帝国支配からの解放をめざすパン・アフリカ主義運動のなかで醸成されていったことから,帝国の解体と連続させて語られてきた.さらに,アフリカ史研究に付随する言語の問題もあいまって,アフリカ現代史においては,帝国の枠組みが過度に前景化する傾向にあった.しかし,パン・アフリカ主義運動には,そうした枠組みを越えた抵抗を模索する意図もある.また,越境する連帯から,新たな〈アフリカ〉という共同体の枠組み(と境界)を生み出そうという力学もはたらいている.
そこで本発表では,アフリカン・アメリカン知識人のウィリアム・エドワード・バーガート・デュボイス,イギリス領ゴールド・コーストの政治家ジェイムズ・エフライム・ケイスリー=ヘイフォード,フランス領セネガルの政治家ブレーズ・ジャーニュ三名に焦点をあて, とりわけ第一次世界大戦の前後において,かれらの軌跡がどのように交差していったのかを検証し,アメリカ合衆国,イギリス帝国,フランス帝国という従来の分析枠組みを横断する連携を通して,〈アフリカ〉への帰属意識が醸成されていく過程を明らかにすることを目指す.互いの思想や活動を参照しながら形成されていったパン・アフリカ意識は,第一次世界大戦を契機として「アフリカ人」としての政治的権利を主張する運動として組織化され,国際的な舞台においても発信が模索された.デュボイスとジャーニュは,第一次世界大戦中の「黒人兵」の従軍を通した市民権の獲得を,デュボイスとケイスリー=ヘイフォードは,大戦後のアフリカにおける民族自決権の承認を,それぞれ主張していた.
一方,運動が拡大し政治化していくにつれて,運動の内部での齟齬や対立も出現するようになった.それは主に誰が真に〈アフリカ〉を代表することができるのか,その「正当性」と「能力」をめぐる競争であったといえる.大西洋東西の対話を通して〈アフリカ〉観が形成されていく一方で,誰が対話相手になり,誰が対話をリードするのか,三人の知的エリートは,互いに競合しながらいかに各々の政治的立場の確立を図ったのだろうか.また,そこにはどのような包摂と排除の原理がはたらいたのだろうか.それぞれが想像する〈アフリカ〉から,帝国主義/反帝国主義の双方を同時に内包しうるパン・アフリカ主義の両義性に迫りたい.
【参加記】2025年7月25日、第2回グローバル・スタディーズ・セミナーがハイブリッド形式で開催された。発表者は中尾沙季子先生、司会は吉国浩哉先生、コメントは國分功一郎先生とオオツキ・グラント・ジュン先生だった。
中尾先生の発表は、トランスインペリアル・ヒストリーの方法論に基づくパン・アフリカニズムについての研究報告だった。トランスインペリアル・ヒストリーは、「帝国の構成員自身による複数の帝国の比較を通じた、支配または抵抗戦略における協力ないし競合関係の形成過程を分析する手法」と定義される。本報告では、パン・アフリカニズムが、常に環大西洋を循環しながら形成していったネットワークの中で発展した思想・運動として位置づけられた。その特徴としては、〈アフリカ〉の名において行動したり、複数の運動を〈アフリカ〉の運動として結びつけたりして連帯を図ることや、アフリカにルーツを持つ人々の政治的能力を証明し、彼らが被っている不正義の是正や、彼らの権利の承認を世界に対して求めることなどが挙げられる。
報告では、アフリカにルーツを持つ3人の知的エリートが第一次世界大戦前後の世界において〈アフリカ〉に関してどのような活動を展開したのか論じられた。第一次世界大戦前には、英領ゴールド・コーストの政治家ケイスリー=ヘイフォードが米国の知識人であるデュボイスに西アフリカのアフリカ人と、米国のアフリカ系知識人との意見交換を求める希望を伝えていた。また、第一次世界大戦中には、デュボイスと仏領セネガルの政治家ジャーニュが、それぞれアフリカ系のエリートとして帝国の政府と交渉すると同時に、非エリート層の人々に従軍を促すという特異な役割を果たした。さらに、戦時中、デュボイスはジャーニュの活動に関心を寄せ、アフリカにルーツを持つ者同士、黒人の人間性および市民権の承認を求める共通の闘いへの協力を呼びかけた。
協力関係とともに、本報告では彼らの間の競合関係も明らかにされた。アフリカ大陸の旧ドイツ植民地の委任統治をめぐって、デュボイスは民族自決権に基づいて旧ドイツ領にアフリカ人による独立国家を樹立する構想を提起した。他方で、ケイスリー=ヘイフォードはアフリカ人の意見を聞くことなく英仏が委任統治を進めることを批判したり、大陸帰還運動に関して、合衆国のアフリカ系ではなくアフリカのアフリカ人こそが〈アフリカ〉を代表できると主張したりした。
中尾先生は、帝国との交渉を担った知的エリートがカラーラインに対する帝国横断的な取り組み、すなわちパン・アフリカ的な取り組みの必要性を認識していたことを指摘した。そのうえで、この時代のパン・アフリカニズムが取った特徴的な方法として、それぞれが帰属する帝国に対して諸帝国を比較することでより効果的な働きかけを行うという方法、ならびに帝国が強制する枠組を「逸脱」し、新たな枠組を提示するという方法が炙り出された。
質疑応答でオオツキ先生は、この時代のパン・アフリカニズムにおける女性について質問された。中尾先生によれば、アフリカ系の女性がパン・アフリカ会議に参加した記録が残っていたり、渡米経験のあるシエラレオネの女性がアフリカに女子の職業訓練学校を作ったりした記録があるとのことだった。他方で國分先生は、デュボイスやジャーニュが権利獲得のために自国の戦争に協力した姿勢を第二インターナショナルの崩壊と比較して、反戦を貫いた人物がいたのか質問された。実際には、戦時中に西アフリカで徴兵に反対する暴動が生じたり、戦後にデュボイスやジャーニュに対して、同胞を売ったとする非難が向けられることがあったりしたという。
本報告は、アフリカ系知識人の協力・競合関係を書簡等の実証的な分析に基づき明らかにすることで、彼らの手によって従来の帝国の枠を超えて〈アフリカ〉の意味が重層化される過程が描き出された。同時に、トランスインペリアル・ヒストリーという歴史学の方法論の可能性とパン・アフリカニズム研究の魅力が十全に示されたといえよう。
【執筆者:法正祐真(総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程)】