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May 23 2025 15:00~16:30

【参加記あり】第1回GSIセミナー 三原芳秋「〈はじまり〉のサイード、あるいは、〈理論〉と〈政治〉の「時差」について」

グローバル地域研究機構(IAGS)GSISPRING GX対象コンテンツ

【参加記あり】第1回GSIセミナー 三原芳秋「〈はじまり〉のサイード、あるいは、〈理論〉と〈政治〉の「時差」について」


【日時】5月23日(金)15:00-16:30(開場時間は、14:45~)
【場所】18号館4階コラボレーションルーム2+Zoom
【司会者】吉国浩哉(総合文化研究科言語情報科学専攻)

コメンテーター:國分功一郎(総合文化研究科超域文化科学専攻)・オオツキ グラント ジュン(総合文化研究科超域文化科学専攻)
【開催方式】ハイブリッド開催。要事前登録。

【要旨】「サイードは1967年、第三次中東戦争の衝撃で政治化した」というクリシェは、(サイード本人もふくめ)多くの論者によって幾度もくりかえされてきた。しかしこれは、二重の意味でミスリーディングではないだろうか。まずもって、英国委任統治下のエルサレムにキリスト教徒のパレスティナ人として出生したその時点でサイードは「政治的」であらざるをえなかったわけで、それがナクバ・ナクサを通して極端なまでに重度をましていったとはいえ、「政治化」は1967年に唐突に起こったわけではない。他方、より具体的な側面について言うと、サイードが「サイード」となった『オリエンタリズム』(1978)の出版まで10年以上の間隔があり、その間に出版された『〈はじまり〉― 意図と方法』(1975)はきわめて「(文学)理論的」な著作(大文字のTheory、日本風に言えば「現代思想」)であって、そこにはあきらかに「時差」が認められるということがある。本発表では、サイードにおけるこの〈理論〉と〈政治〉の「時差」をめぐって、アーカイヴ調査で得た膨大な資料をもとに、とくにコロンビア大学から離れていた二度の研究年(イリノイ大学高等研究センター〔1967-68〕およびベイルート〔1973-73〕滞在)におけるサイードの研究活動に焦点をあてることによって、この怪物的な書物(『〈はじまり〉』)に結実する「〈はじまり〉のサイード」の思想的変遷における「跳躍」、ならびにその「政治化」の実相を浮き彫りにしたいと考えている。
【参考文献】
◇ Said, Edward W. Beginnings: Intention and Method. New York: Columbia UP, 1975 [1985].(山形和美・小林昌夫訳『始まりの現象 意図と方法』、法政大学出版局)
◇『思想』(2023年12月号)特集「エドワード・サイード 没後20年」

【参加記】2025年5月23日、第1回グローバル・スタディーズ・セミナーが開催され、三原芳秋氏(東京大学総合文化研究科准教授)に「〈はじまり〉のサイード、あるいは、〈理論〉と〈政治〉の「時差」について」と題してご講演いただいた。

セミナーではEdward W. Saidの思想的転換や文学理論の展開が幅広く議論された。特に注目されたのは、自伝Out of Place (1999) でサイード自身が述べた、1967年の第三次中東戦争(六日戦争)以降の意識変容である。サイードはこの出来事を “I was no longer the same person after 1867” と回顧するが、三原氏はこの変化を聖アウグスティヌス的な個人の劇的な転換ではなく、むしろGauri Viswanathanが論じたBhimrao Ramji Ambedkarの集団的改宗と同様に理解すべきと指摘した。

変化の契機として、サイードの1972~73年のベイルート滞在が取り上げられた。この頃の彼はPLOのエリートたちと交流し、アラブ・ナショナリズムへの接近を強めていた。とりわけ、彼のサバティカル期と執筆時期が重なるBeginnings: Intentions And Method (1975) には彼の思想的な変化を見てとることができる。この著作はJonathan Cullerによって ‘sprawling’ と批判されたが、三原氏はこれがサイード自身による意図的な選択だったと指摘した。サイードは意識的に理論と身体性の相互作用を探求し、Giambattista Vicoの思想を基盤として、理論と身体が相互に作用する動的なプロセスを描き出したとされた。

三原氏は、ご自身のアーカイブ調査によって発見されたサイードのACLS向けApplication Paper (1971年に執筆)を取り上げ、そこにBeginningsの第5章 ‘Abecedarium Culturae’の一部 (1967年初出) がすでに業績として記載されていたことに着目した。この申請書ではサイードがミドルネームWilliamを常に記載し、出身地をJerusalem, Palestineと明示するなど、自らの中東の出自を明確にする一方、西洋思想の普遍性を強調する表現が見られる。また、この時期のサイードはJacques LacanやNoam Chomskyなどの言語哲学に深い関心を寄せ、精神分析理論を駆使してアラブ世界における自己認識や自己批判を分析している。これらの表現やアプローチは、後の代表作Orientalism (1978)とは異なる問題意識を示しており、サイード自身がオリエンタリズム的枠組みを内面化していたのか、あるいは学術上の戦略であったのかが問題提起された。

‘Abecedarium Culturae’ とBeginningsの関係が着目されたのは、そこにサイードがベイルート時代に読んでいたGilles Deleuzeの『意味の論理学』や『差異と反復』の影響が看取できるためだ。ヴィーコと並んでサイードが影響を受けたMichel Foucaultとドゥルーズの zero概念を融合させていた点が強調された。Paul de ManがGayatri Spivakに対してサイードをフーコー学者と紹介したことに触れつつ、サイードが1971年時点では ‘Origin as zero’ という永遠に失われた起源を前提としていたのに対し、ベイルート滞在期以降は過去との断絶を伴う歴史的かつ物質的な行為としての ‘Beginning as zero’ を提唱したことが指摘された。この新たなゼロの概念はドゥルーズとフーコー双方の思想の影響を強く受けており、特にドゥルーズ的なnomadic zeroの概念を導入することで意味生成の動的なプロセスを強調している。

講演後の質疑応答を通じて、1960~70年代のニューヨークの知識人環境にも光が当てられた。当時、Norman O. BrownやSusan Sontagなどによって、エロスと政治の関係が盛んに論じられ、サイードもその影響を受けていた。しかし、その後のジャーナリスティックな活動の拡大とともに、サイードはエロスと政治といったテーマから徐々に離れていった。さらに、Jacques Derridaやスピヴァクが脱構築理論を積極的に政治的・身体的文脈に位置付けるのに対し、サイードはフーコーやデリダに対して政治的な懐疑心から距離を取ったことも議論された。一方でドゥルーズとは個人的にも密接な関係を持ち続け、特にパレスチナ問題を通じた政治的連帯が強調された。

講演と質疑応答によってサイードの1960~70年代の著作を通じた文学理論の展開とその背後にある思想的文脈が多面的に捉えられ、サイードの思想的変化を歴史文脈のうちに位置付けるという三原氏の試みの成功が確認された。こうして本セミナーは盛会のうちに幕を閉じた。

【報告者:古城輝樹(総合文化研究科博士課程)】