【参加記あり】第5回グローバル・スタディーズ・セミナー 張政遠「日本哲学の学術分野としてのグローバルな展開」
【日時】2022年12月22日(木)15:00~16:30
【開催場所】ウェビナー(要事前登録)。
【司会】伊達聖伸(総合文化研究科地域文化研究専攻)
【コメント】國分功一郎(総合文化研究科超域文化科学専攻)・吉国浩哉(総合文化研究科言語情報科学専攻)
【言語】日本語
【共催】地域文化研究専攻(今回のグローバル・スタディーズ・セミナーは、
【要旨】日本哲学を研究する者として、
【参加記】「我が日本、古より今に至るまで哲学なし」。これはかの有名な日本思想家・中江兆民が、1901年に刊行した著作『一年有半』からの言葉である。我々は西洋哲学の起源を尋ねられれば、容易く紀元前のギリシャ哲学や、あるいはタレス・ソクラテス・プラトンなどの名前を挙げるであろう。しかし、日本哲学という焦点においては、その具体的な起源・射程・国際的な認知度、そしてそもそも存在しているのかという問いに探究する余地が残されている。百年以上議論を続ける中、宗教研究や東洋思想の分野に置かれた日本哲学の在り方とそのグローバルな展開が、今回の講演内容であった。
日本哲学のグローバルな展開を語る前に、先ず考えなければならないのは日本哲学の学術分野における意味である。学術分野としてもマイナーな日本哲学は、海外と日本にいる学者が日本哲学に向けられた関心を連結して、軌を一にする必要がある。日本哲学を京都学派の論述だけで見るのではなく、ましてや大学内で研究する学術分野だけではない。張氏は研究人生における示唆からはじめ、日本哲学の実践、そしてグローバル展開に向けての布陣を踏まえて、講演を展開した。
日本哲学に向けた分散された関心を連結するために、張氏は日本哲学の文献翻訳を重要視している。2011で刊行された日本哲学・思想をまとめた『日本哲学資料集(Japanese Philosophy:A Sourcebook)』を一例とし、日本哲学は日本の学際領域研究にとどまらず、英米諸国の教育現場にも発展している。また、受動的に待ってるだけではなく、自ら翻訳を進めることこそが有意義な研究になる。『Journal of Japanese Philosophy』(SUNY Press)の創刊や国際日本哲学大会の開催へと繋げていき、日本哲学の基盤を築き上げると同時にグローバルな展開を成し遂げている。
しかし、「哲学」というのはやっぱり「学(Discipline)」にとどまるべきではなく、「哲学をすべての人に(Philosophy for everyone)」という意味合いで、実践の道こそが本来の道であると張氏は述べていた。現代問題に関心を向けない限り研究する価値が無ければ、グローバル化する意味もない。「学」の領域を超越するために、張氏が提唱するのは日本哲学をプラットフォームとして、例えば感染症や災害などの現実問題に向けて、国内外の研究者や一般の方と共に考えることである。グローバリゼーションを進める上で必要としていることは、ローカルの部分である自己了解と開示であり、そこから始まる他者とのコミュニケーションを促すことが日本哲学のグローバリゼーションになる。
日本哲学は学問だけでいいのかという張氏の問いかけに対して、コメンテーターである國分功一郎教授は、柄谷行人の受賞歴を介して日本研究者は単なる英語論文を書いて投げるだけではなく、意識を持って発信し、能動的に哲学のマーケットそのものを変えなければならないと論じた。その後、吉国浩哉教授は日本哲学の英語版ソースブックの刊行に関心を持ち、それにより海外での日本哲学講義においても原典を見て授業する事ができるという発展を高く評価し、これからより多様な視点で日本哲学を議論することが期待できるだろうとの見通しを示した。
日本哲学にせよ、西洋哲学にせよ、グローバリゼーションという意味合いでは互いの共通している基盤を探り当てることが不可欠になる。ポストコロナ時代に当たり、世界中が同じ災害に直面した今こそが日本哲学のグローバル化を議論する最適な時代だと思われる。張氏が言明したように、研究室に閉じ籠っていてはイノベーションは生まれない。他者への発信というのは本来、自ら認知したことを取り込んで、相手を想定した上、情報整理や選択というプロセスを経て構築される行動であり、他者の存在は語り行為の視座では必要不可欠となる。他人との繋がりの重要性と脆弱性を改めて認識した昨今、日本哲学は文献研究からさらに一歩先へ行き、翻訳と出版による土俵作りの上で、互いが抱えた問題に向けて思いを開示し、まことの意味でのグローバル化にすすむ道となるであろう。
【報告者:劉仕豪(総合文化研究科地域文化研究専攻研究生)】