「棲み分けの国際秩序と越境人口移動―― 田所昌幸『越境の国際政治』(有斐閣、2018年)を読む」
「新たな移民研究の創造に向けた学術横断型研究」(野村財団助成)
石田淳
「棲み分けの国際秩序と越境人口移動――
田所昌幸『越境の国際政治』(有斐閣、2018年)を読む」
石田 淳
人間は、自由市場経済においては労働サーヴィスの供給者であると同時に、民主的な法治国家においては一定の権利を保障された市民である。稀少であることは市場原理に基づく資源配分の場面では有利となっても、多数決原理に基づく意思決定の場面では不利ともなりうる。労働サーヴィスに対する需要は、たしかにその供給者に就業機会を与えるが、それだけが、越境人口移動を動機づける訳ではない。逆に、国家による出入国規制のあり方も、もっぱら経済的考慮が方向づけるものでもない(Weiner 1985, 449)。
モノやカネの脱国家的移動を分析の対象とする国際政治経済学を専門とする田所昌幸は、国際政治経済学の延長線上にヒトの移動をとらえつつも、国際人口移動の動機として[土地の付属物ではない]ヒトの主体的な選択に着目する(田所、7頁)。そのうえで、国家間で領域主権を相互に承認する《棲み分け》の秩序に、国際人口移動はどのような影響を及ぼすのかを問うている(田所、18頁)。著書によれば、地表面上のヒトの空間的な移動の意味は一様ではない。基本的に、人を送り出し、受け入れる国家と出入国者の関係――たとえば送出国・受入国における出入国者の法的な地位――次第でそれは全く違う(田所、5頁)。たしかに、旅行にもなれば、留学、出張、転勤、出征、引揚、徴用、帰化、亡命にもなろう。このすぐれて歴史的で社会的な文脈への感性こそ、紛れもなく著者ならではの俯瞰的で印象的な説得力を本書に与えている。そして歴史の断面にあらわれるアイロニーへの感度が、良質な政治学を成り立たせている[1]。
出入国規制政策から、国籍制度(血統主義、出生地主義)、帰化要件(居住要件、言語要件等)、永住外国人の権利保障(いわゆるデニズンシップ)まで、本書が論及する問題領域はことのほか広い。なかでも読者を深い思索に誘い込むのは、第一に、《個人の自発的な移動》の局面、そして第二に《集団の非自発的な移動》の局面の政治的考察ではないか。前者については、個人の行動選択は、条件次第では、集団レヴェルで集約されて国家の体制移行(例として東ドイツの体制の崩壊)、さらには国際社会レヴェルでの秩序変動(ドイツの再統一から冷戦の終結へ)をもたらした。また後者についても、国家の統治領域の変更を必然的に伴うような、帝国・連邦の解体と新生国家の誕生、あるいは革命型の抜本的な体制移行などは、条件次第で、ときに大規模な難民の流出を引き起こし、当事者にとっては本意ならざる人口移動と、国際社会による国内問題との双方向的な関係(国内少数者の国際人口交換[たとえば1923年のローザンヌ条約に基づくギリシア・トルコ間の住民交換]や国際権利保障)を生み出した(Zolberg 1983; and Marrus 2002)。
まず、個人の自発的な移動の局面から考察を始めたい。冷戦の終結を象徴したベルリンの壁の崩壊を、本書は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)からの人口流出と、極端な出国制限政策(ベルリンの壁)の放棄――いいかえれば、《個人の選択》と国家による《出入国管理政策の変更》――という観点から描く(田所、29-32頁)。この問題も興味は尽きない。
人口の流出を契機とした東ドイツの体制崩壊の過程も、C・ティブー(Charles Tiebout)の個人による居住地の選択モデル、すなわち「足による投票(“voting with one’s feet”)モデル」(Tiebout, 1956)や、A・ハーシュマン(Albert Hirschman)の「離脱・発言・忠誠(exit, voice and loyalty)モデル」の中に置くと、いったいどのように理論的に再構成できるだろうか。ハーシュマン自身は、私的活動としての国家からの「離脱(exit)」と公的活動としての国家に対する「発言(voice)」とを対置したうえで、どのような条件の下で、前者の選択肢の存在が後者の選択肢の意義を小さくする[ハーシュマンの用語法上は “exit-voice seesaw pattern”]か、あるいは実際に東ドイツで観察されたように、それを大きくするかを問うている(Hirschman 1993, 193-200)。
出国(すなわち「離脱」)せずとも、ライプツィヒや東ベルリンのデモに参加することは、個人にとって抗議(すなわち「発言」)の意思を表明する機会となるだけではなく、東ドイツ国民たる集団にとって体制に抗議する人口の規模について情報を共有する絶好の機会ともなる。一党体制はもはや「正統性」を喪失しているとの認識が社会に浸透すると、それがさらなる抗議への参加を連鎖的に促してゆく[Information CascadeについてはLohmann(1994) ]。集団を構成する個人に関してその行動選択の判断基準(たとえば、体制に対する個人的評価と、体制の正統性についての認識)に変化はなくとも、諸個人の行動が観察されることによって体制に対する評価が集団内で共有されると、外部の観察者の予測をはるかに超える抗議のうねりがうまれ、それが体制を突き崩しうる。個人の政治認識が集団レヴェルで集約される動的な過程に、体制崩壊の動因を解き明かす鍵があるようだ。
次に、集団の非自発的な移動の局面に移りたい。永続的住民、明確な領域、実効的な政府、独立が国家の構成要素である以上、住民の範囲や統治のあり方の変更は、引揚、難民といった形で大規模な越境人口移動の原因となる。それが劇的な形をとるのは、国家領域の変更に伴う当該領域住民の移動であろう。その契機となるものとして、戦争による領土の変更、帝国・連邦の解体と新生国家の誕生(印パの分離独立、パレスチナ分割、ソ連邦の解体、ユーゴ連邦の解体)、あるいは革命型の抜本的な体制移行や内戦の発生に伴う国家の破綻を挙げることができる[2]。
住民の権利を領域国家が保障する体制においては、国家領域の変更は、《権利を主張する住民》と《権利を保障する国家》との不整合を引き起こす。冷戦の終結の局面でも、共産党の一党体制の崩壊と社会主義連邦の崩壊は、旧ソ連邦、旧ユーゴスラヴィア連邦を構成していた共和国において、少数者の同化・浄化を図る多数者[3]、自治・自決を目指す少数者、同胞民族たる少数者の居住領域を回収しようとする隣国の三勢力の間で、相互に両立しないエスニック・ナショナリズムの主張が衝突した(Weiner 1971, 668; Brubaker 1995, 109-110)。この点について本書は、旧ソ連邦解体の局面において、バルト諸国内の少数者たる「域外ロシア人」と多数者たる「基幹民族(titular nation)」との間の国籍取得要件をめぐる緊張関係を、当該領域における域外ロシア人の比率の差異(エストニアでは30%、ラトヴィアでは34%であるのに対してリトアニアでは9%)などにも留意しつつ注意深く、とは言え疑いようもなくダイナミックに描いている(田所187-189頁)。たとえばラトヴィアでは、1940年のソ連による併合後に流入したロシア人は、ラトヴィアの「ソ連邦からの独立」(1991年)にあたって「外国人」とされ、厳しい帰化要件(居住要件、言語要件など)を充足しなければラトヴィア国籍を取得できるものではなかった。これに対して少数者の人権保障を求めたのがヨーロッパの諸機関である。「欧州連合への加盟」を念願としていたラトヴィアにはこの要請に応えるほかなく、国民投票を経て国籍法を改正し帰化要件を緩和した(ラトヴィアは2004年にEU加盟を達成した)。このように「連邦からの独立」と「連合への加盟」という国際平面の動きと、帰化要件をめぐる国内平面における攻防(厳格な帰化要件から寛容な帰化要件へ)とは歴史の流れの中で連動していたのである(石田2007年、65-66頁)。逆に言えば、ヨーロッパのように多国間主義的な国際平面の抑制要因が働かなければ、国内における人権保障をめぐる攻防は歴史的な禍根を残しうるものとなろうことは容易に想像できる。他地域の現実を理解するうえで深い示唆を与えるものである。
以上のべてきたように、本書は抗しがたい思考喚起力を持つ。移動不能のコロナの時代に、あらためて人間のグローバルな移動の歴史的意味に思索をめぐらせるには最良の書物である。
参考文献
石田淳.2007.「国内秩序と国際秩序の《二重の再編》――政治的共存の秩序設計――」『国際法外交雑誌』第105巻第4号、44-67頁
大沼保昭.1979-1980.「在日朝鮮人の法的地位に関する一考察」『法学協会雑誌』巻3、5、8号、97巻2、3、4号、1979年-1980年)(大沼保昭『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』(東信堂、2004年)として単行本化)
田所昌幸.2018.『越境の国際政治――国境を越える人々国家間関係』有斐閣
Brubaker, Rogers. 1995. “National Minorities, Nationalizing States, and External Homelands in the New Europe.” Daedalus. 124 (2): 107-132.
Hirschman, Albert O. 1993. “Exit, Voice, and the Fate of the German Democratic Republic: An Essay in Conceptual History.” World Politics. 45 (2): 173-202.
Lohmann, Susanne. 1994. “Dynamics of Informational Cascades: The Monday Demonstrations in Leipzig, East Germany, 1989-1991,” World Politics, 47 (1): 42-101.
Marrus, Michael R. 2002. The Unwanted: European Refugees from the First World War Through the Cold War. Temple University Press.
Tiebout, Charles. 1956. “A Pure Theory of Local Expenditures.” Journal of Political Economy. 64 (5): 416-422.
Weiner, Myron. 1971. “The Macedonian Syndrome: An Historical Model of International Relations and Political Development.” World Politics. 23 (4): 665-683.
_____ . 1985. “On International Migration and International Relations.” Population and Development Review. 11 (3): 441-455.
Zolberg, Aristide R. 1983. “The Formation of New States as a Refugee-Generating Process.” Annals of the American Academy of Political and Social Science. 467: 24-38.
[1] 市民に対して居住地によって異なることのない権利を保障して初めて、統治体制は一体的なものとなる。この居住地を州と位置付ければ、アメリカにおける連邦の統合過程の鍵も見えてこよう(アメリカ合衆国連邦憲法第4条は、各州の市民は、他州においてもその州の市民がもつすべての特権および免除を享受するとしている)。アメリカの連邦と今日のEUの連合とを時空間を超えて一望するくだり(田所、144頁)は、読者の想像力に強く働きかける。また、ドイツでは統一後にその国籍法に出生地主義的性格が加わったことを指摘する文脈では、統一以前には、国家の領域的現状への不満が国籍法の血統主義の背景を構成してきたのではないかの推論も展開する(田所、186頁)。その一方で、フランス革命後の移動の規制を、《自由の防衛のための不自由》として印象深く語る(田所、146頁)。政府による権限行使の根拠を被治者による同意に求めたはずのアメリカでは、国籍は出生地によって確定するとされ、またその出生地主義も、土地と結びついた期間の短い白人入植者(黒人奴隷はまた異なる)にのみ適用されて、先住民には適用されなかったというアイロニーも見逃さない(田所、141-145頁)。
[2] 領土変更の形態が、歴史的に国家間の領土の割譲・併合から民族の自決へと変化するに伴い、領域住民国籍の自動変更ではなく、住民に「権利を有するための権利」たる国籍の選択権が認められるようになった(大沼1979-1980)。また、ディアスポラたるユダヤ人が「民族の郷土(ナショナル・ホームランド)」を建設する過程は、あらたにパレスチナ人のディアスポラを生む過程ともなった(田所、220頁)。
[3] ブルーベイカーが描くのは「三者関係(triadic nexus)」だが、より一般的には、多数者の自決が承認されている領域ではどこでも、「多数者による統治」と「少数者の権利保障」との緊張関係がありうる。近年の移民に対する多数者のポピュリスト的な反発についても同様の構造をみてとれる。